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札幌地方裁判所小樽支部 昭和47年(わ)54号 判決

主文

被告人を懲役五年に処する。

未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。

押収してあるジヤツクナイフ一本(昭和四七年押一六号の一)を没収する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三九年三月、明治大学法学部を卒業し、同月から翌四〇年三月まで警視庁巡査として勤務し、その後本籍地に帰り、実父松井功七(大正元年一〇月二七日生)方に同居し、家業の屋根葺業の手伝や不動産会社の従業員の仕事をするかたわら司法試験の受験準備をしていた者であるが、かねて、父の知人の下田万次郎から、同人の子政義が出稼ぎ先の会社での負傷事故について会社から損害補償を受けられないで困つているとの相談を受けていたので、昭和四七年三月二四日午後三時三〇分ころ、父功七と共に仕事帰りの途中北海道虻田郡留寿都村字向丘一五三番地所在の右万次郎方に立寄つた。そして、右用件の済んだ午後七時ころ、万次郎から酒が出され、同人方茶の間で、被告人、功七、万次郎のほか万次郎の子である政市、定男の両名も席に交えて飲酒を始め、午後八時五〇分ころ、話題が再び右用件に及び、被告人が、右損害補償の交渉相手である会社の商業登記簿謄本や政義の負傷についての診断書を取寄せようと言つたのに対し酔つた功七が異を唱えたことに端を発し、両名ともに酒の酔いが加わつていたこともあつて両名の口論となつた。ところで功七は、もとから酒癖悪く、酔いが進むと酒乱気味となつて他の人特に家族の者に乱暴するなど粗暴行為に及ぶ癖があり、これに対し、被告人もまた勝気で功七の右酔態に強く反撥、対抗する傾きがあり、かつて、酔つて暴れる功七に立向かつて頭部をどんぶりで殴られ傷あとまで残されたこともあつて同人の酔態に対する反感がひそんでいたところから、被告人は、口論により右反感を刺激され、頭髪をかき分けて頭部の前記傷あとを示しながら「馬鹿親父」「この傷をどうしてくれるんだ。」と言い放つたところ、憤慨した功七が、「親に向かつて馬鹿とは何だ。」「お前本当にやる気か。」などと言いながら、被告人の前に進み寄り、その胸倉を手で押しつけ、攻撃を加えようとする態度を示したため、功七の酩酊時における前記暴行癖を熟知し、反感を抱くと共に恐れてもいた被告人は、功七の右行為に憤激し且つ功七の攻撃に対し自己の身体を防衛するため、とつさに、携えていたジヤツクナイフ(刃体の長さ約八・七センチメートル)(昭和四七年押第一六号の一)を突き出して功七の左胸部を突き刺し、よつて、同人に対し心臓の右心室に対する刺創を負わせ、右刺創に伴う出血により、間もなく、同人をその場で死亡するに至らせたものであつて、被告人の右行為は、防衛の程度を越えたものである。

(証拠の標目)省略

(争点に対する判断)

一  故意について

前判示の日時、場所において、被告人所携のジヤツクナイフ(昭和四七年押第一六号の一)が功七の胸部に突き刺さつたこと、その創傷は、胸郭において、正中線より左へ八センチメートルのところでさらに左へ一センチメートルの幅で左第五肋間節を切断し、第六肋軟骨の上縁をも切断し、わずかに右下方に向い、胸腔に入り、心膜を三・五センチメートルの長さに切り、その直下にある心尖部を刺し通し、右心室内腔に至り、ここで心室中隔壁の右心室内側に長さ一センチメートル、深さ〇・二ないし〇・三センチメートルの損傷を作つており、その創口から創底に至る全長は約一五センチメートルであること、功七は、右創傷に伴う出血により、その直後、その場で死亡したことは、いずれも前掲各証拠によつて十分認めることができるばかりか、被告人も積極的にこれを争わないものである。

検察官は、被告人はかねてから功七と折合いが悪かつたところ、当夜、功七と口論した末、同人から胸倉を押されたため、これに憤激し、日頃の鬱憤を晴らそうとして、とつさに殺意をもつて功七を突き刺したものであると主張し、弁護人は、功七が酒に酔つて被告人の胸倉を掴み、被告人の持つていたナイフを取ろうとして被告人ともみ合ううちに、はずみで突き刺さつたものであつて、被告人には殺意はもとより、暴行、傷害の故意もなかつたと主張する。

この点について、被告人は、当公判廷において、「被告人は隣り合つてソフアーに腰かけていた功七に対し、補償金をとるためには相手会社の商業登記簿謄本と病院の診断書をとらなければならないと言つたところ、功七が『とる必要がない。』と言うから、『父さん何言つてんだ。』と言い返したら、功七は傍にあつた酒瓶を逆手にとつて持ち上げたので、被告人がこれを取り上げてまた元のところに置いた。その際、被告人が羽織つていた上衣が脱げた。そして、被告人が自分の髪を分けて『父さんにこうやつて殴られて怪我をした。』と言つて頭部の傷あとを見せ、『他人の家でそんなことをするな。馬鹿親父』と言つて功七をたしなめた後、功七に酒をついでやつたり、ナイフで鉛筆を削つたりしてから、下を向いてノートを見ていたら、凡そ一〇分間経つて突然功七が玄関の方に向かつて出て行つたかと思うと急に引返し、被告人の傍に来て、物も言わずに、凄い形相をして右手で被告人の首を押すようにして締め、左手でナイフを持つている被告人の右手を強い力で内側にねじつてそのナイフを取ろうとした。そこで、被告人は立ち上り、ナイフを取らせまいとしてそのままの状態で功七と二、三回もみ合いをしているうちに、二人の身体がぶつつかつた感じがしたら、功七は後方にふらふらと倒れた。被告人は、ナイフが刺さつたことも抜けたことも感じなかつた。」と供述している。

しかしながら、被告人のこの弁解は、その大部分が当公判廷においてはじめて主張されるに至つたものである。もとより、本件は、加害者、被害者とも相当に酒に酔つていた時に発生したものであるから、その行動や供述を判断するにはこのことをも十分考慮しなければならず、一見突飛と思われる供述や行動についても十分吟味する必要があるが、それにしても、被告人の右供述には、他の関係証拠と対比すると、納得し難い点が多々あるのである。すなわち、右供述によると、被告人と功七との口論はいつたん納まつたことになるのに、その後、約一〇分間も経てから突然何のきつかけもなく功七が被告人の胸倉を掴みに行つたというのもその動機において不自然であるし、ナイフが功七に刺さつた状況についても不可解な点がある。功七が果して刃先が自分に向つているナイフを手前に強く引いて取るような危険なことをするであろうかと考えると、功七が引つ張つたために刺さつたというのにも強い疑問が残り、また、右手で被告人の首を押して締めながら左手でナイフを強い力で手前に引張ろうとするのも、体格のほゞ同様な両者の間では不自然な動作である。かりに、ナイフを取り合つているうちに何らかの拍子で功七がよろけたとしても、両者床上に横になつて上になり下になりしてころびながら取組合つたわけでもなく、右の程度のことで、右ナイフをもつて着衣をとおして前述のような深い創傷を生じさせることができるとは到底考えられず、しかもこのように相手の体内の奥深く突き刺さつたナイフを引き抜くには相当の力を要するであろうに、ナイフが功七に刺さつたこともこれを引き抜いたことも全く気が付かなかつたとの被告人の供述も、にわかに信用し難いものがある。更に、真実、物のはずみで功七にナイフが刺さつたのであるなら、被告人は事件直後にその旨をその場に居合せた者に説明したり、現場に来た警察官にその旨を強く訴えたりして逮捕を免かれようとするのが通常であろうと考えられるのに、下田万次郎親子にも何も語らず、事件を警察官に連絡してから腰のバンドを外して逮捕される準備をし(被告人の当公判廷における供述)、緊急逮捕しようとする警察官に対し、まことに申し訳ありませんと頭を下げて素直に逮捕に応じた(司法巡査作成の緊急逮捕手続書)のも、自己主張の強い性格の被告人の態度としては解せないところである。もつとも、右逮捕の際、被告人が警察官にナイフがおやじの胸に突き刺さつたという弁解をしていることは認められるが(司法巡査作成の緊急逮捕手続書)、その突き刺さつた経緯についての右弁解は前記公判廷での主張と著しく相違するものであつて、むしろ右主張の信用性を疑わしめるものである。

本件犯行現場に居合わせた証人下田万次郎は、本件犯行当時の模様を当公判廷において、「親父さんが、帰ると言つて被告人の前をそろそろ通つて玄関口の戸を五寸位開けて帰りそうになつたが、被告人が何か言つたのでまた戻つてきた。その間被告人は、『おれ、三〇になつても嫁を持たない。』とか『頭の傷どうしてくれるんだ。』などと言つていた。そして、被告人が立ち上つて上衣を脱いだがまた腰掛けたようだ。すると、功七が被告人の傍へ寄りソフアーに腰掛けている被告人の首のつけ根を押さえた。手前に引つ張るようにはしなかつた。右手は下におろしたままだつた。それからすぐ功七はふらふらと立つて来てテレビの前で倒れた。」旨述べている。同証人は、当日テレビを見ながら被告人や功七の相手をしていたが、酒を飲んではおらず、且つ、被告人らと向い合つてソフアーに腰掛けていて被告人らを見渡せる位置にいたものであつて、本件犯行時およびその前後の被告人および功七の行動を比較的詳細に述べており、その供述内容は証人下田政市、同下田定男の各証言内容とも矛盾せず、同証言中にも下田万次郎の供述を裏付ける部分があるのであるから、同人の証言はおおむね信用できると認められるところ、被告人の前記弁解は、この下田万次郎の供述内容とその主要な部分である犯行の態様においてくい違いをみせている。

一方、被告人は司法警察員に対しては「被告人が功七に対し、会社登記簿謄本二通と診断書を取り寄せようと言つたところ、功七がその必要はないと反対するので、それがなければ訴訟ができないんだと言い返した。憤慨した功七は『親に向つて生意気な口をきくな。』と言つて功七の右ひざのところにあつた一升瓶をとろうとしたので、被告人がこれをひつたくつた。すると、功七はいつたん玄関の方に向かつたあと『親に向かつて何を言うんだ。』と言いながら被告人の方に向かつてきたので、被告人は、家に帰ると言つてソフアーから立ち上つた。そして、功七と向かい合うようなかたちで『父さんまたいつものくせが出たな』と言つたところ、功七が、被告人が刃を開いたまま手にしていたナイフに手を出して来たような気がしたので、ナイフを取られるなと思い、とつさに父の体をナイフで突いた。」と突く意思をもつて突いた趣旨のことを述べている。弁護人は、右供述調書の信憑性を争うけれども、被告人は警察官の経験や司法試験の受験準備をとおして相当の法律的な知識を有していて、いかに事件直後とはいえ、自己に不利益な事実を軽々に述べることはなかつたと思料され、かつ、右供述調書の信憑性を疑わせるような特段の事情は認められない。

また被告人は、検察官に対しては、「被告人が功七に対し、診断書をとらなければと言つたところ、診断書はいらないとか、明日から俺の車には乗せないとかわけのわからないことを言つた後二、三杯酒を飲んで立ち上り、被告人に対し、『親に向かつて生意気な口をきくな。』と言いながらテーブルの上にあつた空瓶を手にした。その時被告人は上衣を脱いだ。そして被告人が功七から瓶をひつたくつてソフアーの横に置いた。すると、功七は、被告人が刃を開いたまま左腰にぶら下げていたナイフに手を出してきたので、被告人が右手でそのナイフを持ち、功七に渡さなかつた。被告人が『父さん、いつものくせが出たな。』『父さん、酔払つたら俺の頭、こんなにさせるんでないの。』と言つて頭の傷あとを示した。功七は、『親に向つて何を言うか。』と言い、立ち上つて、いつたん玄関の方に向かつたかと思うと茶の間の奥の方に向かつて何か得物を探していたが、すぐに被告人の方に向かつてきて被告人と向かい合つて立ち、被告人の胸倉を掴み、『親に向かつて何だ。殺してやる。』と言つた。被告人は功七に取られまいとしてナイフを右手に持ち、後に引いて構えていたが、功七が急に被告人の身体を強くしやくるようにして手前へ引つ張つたため、その反動でナイフが功七に刺さつた。」との趣旨のことを述べている。この供述中、功七が被告人の身体を引つ張つたからその反動でナイフが刺さつたとの弁解は、功七が被告人を手前に引張るようなことはなかつた旨の下田万次郎の供述とくい違う点であるが、下田万次郎の供述が前述のとおり信憑性のあるものであることを考慮するほか、被告人の公判廷における供述に対して判断したと同様、右弁解を創傷の程度、事件直後の被告人の行動等に対比して吟味するとともに、その後被告人がこの弁解内容を改めて前記公判廷における弁解に変えている事実をも考えあわせると、被告人の右弁解は到底採用できないものというほかない。そして、その他の点において、下田万次郎の供述内容と被告人の捜査官に対する供述内容はおおむね一致している。

以上の次第で、被告人が功七を刺す意思がなかつたとの弁護人の主張は容れることができず、前掲各証拠を総合して判断すると、被告人は功七と口論の末、功七から胸倉を押しつけられたことから、とつさに所携のナイフを功七の身体めがけて突き出して突き刺したとみるのが真実に合致するものと認められる。

そこで、更に被告人の殺意が認められるか否かについて検討する。

殺人の故意は、おおむね、犯人が使用した兇器の種類、傷害の部位、程度、凶器の事前準備の有無、動機の強弱などによつて推認するのが一般であるところ、本件犯行の兇器が刃体の長さ約八・七センチメートルの鋭利な刃物であること、傷害の部位が身体の最枢要部であること、傷害の程度は兇器の刃のつけ根まで一気に突き刺したもので(医師八十島信之助外一名作成の鑑定書)、ほゞ即死の状態で被害者を死に至らしめていることに徴すれば、検察官の主張するように被告人に殺意が存したのではないかとの一応の推認をなすことは理由のないことではない。しかしながら、本件については、さらに、犯行の動機、態様等について仔細に検討すると、被告人の殺意の存在について合理的な疑いをさし挾む余地を否定できない。

すなわち、まず、本件犯行の動機として、検察官は、被告人と功七との確執、反感を強調するが、松井源次、熊谷良次、松井トシ、松井武、松井実の検察官に対する各供述調書、松井実の司法巡査に対する供述調書、証人小鮒明子、同熊谷八重子、同伊藤栄市郎の当公判廷における供述、被告人の捜査官に対する各供述調書および当公判廷における供述によれば、功七は、若い時から、我儘で自我が強いうえに、酒癖が悪く、酔いの度が進むと酒乱気味となり、他の人、特に家族に対して乱暴を働くなど粗暴行為に出る癖があつたが、被告人が兄弟のうちで最も功七のこの性格を多く受け継いでいたため、長年にわたり互に反撥し合い、酒を飲むとそれまで何事もなかつた両者が突如人が変つたように激しく口論したり、時々は得物をもつて殴り合いをすることもあり、被告人は幼少時から功七に殴られたこともしばしばで、現に、昭和四四年酔つた功七に立向かつてどんぶりで殴られ頭部に傷あとを残されたことすらあつたが、しかし、昭和四四年の大喧嘩を最後にこの二、三年は相争うこともなくなり、最近では功七の運転する自動車に被告人を乗せて勤めの送り迎えをし、共に被告人の結婚の準備をするなど、仲良くしていたもので、本件犯行当日も被告人は功七と共に洞爺方面に土地を見に行つて、その帰りに功七が運転する自動車に被告人が同乗して下田方に立寄つたものであることが認められ、これによれば、長年にわたつた確執や功七の酩酊時の暴行に対する反感が潜在的に被告人に存したことは容易に肯けるが、この数年間の両者の関係に照らすと、それが発展して殺意を生じさせる程の激しいものであつたとは断定し難いものがある。そして、当日の口論も、その後の功七の暴行も居合わせた下田万次郎親子が格別気にする程のものでなかつたことを考えると、被告人が激昂性の性格を有することを考慮しても、それが、被告人にひそんでいる功七に対する反感を刺激したことは察せられるものの、なお、殺意を生じさせるには動機として薄弱の感を免れない。

また、兇器であるナイフが本件犯行のために用意されたものではないことは前掲の証拠により明らかであるし、功七から胸倉を押しつけられる前にすでに同人を突き刺すためにナイフを手にしていたと認めるに足りる証拠もない。前掲の証拠を総合すれば、当時被告人は他の目的でたまたまナイフを手に持つていたところへ功七が胸倉を押しつけにきたゝめ、その手にしたナイフをもつてとつさに突き刺したものと認めるのが相当であり、本件が一瞬の間に行なわれた偶発的犯行に属することは疑いがない。さらに被告人は、後述のとおり当時心神耗弱に至らないものの、かなり酒に酔つて、判断力が若干鈍つていたと推測される。このような状況における一瞬時の犯行であることに加えて、本件の全審理を通じても本件犯行時の被告人と功七の姿勢、位置関係等がそれ自体、被告人の刺突行為について殺意を裏付け得る程には明確になし得なかつたことを考えると(被告人は立つて居たように述べるが、下田親子は腰掛けていたように述べている)、被告人が果して身体中の枢要部を目がけて突き刺したものであるか、あるいは功七の身体めがけて突き出したナイフがその時の両者の身の動きなどから、はからずも功七の身体中の枢要部に突き刺さる結果になつたのかは、にわかにこれを判別し難いものである。

以上の諸点に、さらに兇器の刃体がそれ程大きいものではなく、被告人が本件犯行後功七に対して「親父死ぬなよ。」と言つていることなどをあわせ考えると、本件犯行が未必的にしろ殺意をもつて行なわれたと断定するにはなお合理的な疑いを容れる余地がある。よつて、被告人が殺意をもつて功七を突き刺した旨の検察官の主張は採用しない。

二  正当防衛の主張について

前記一記載のとおり功七は、酒を飲んで酔いの度が進むと酒乱気味を呈し、他の人特に家族の者に乱暴するなど粗暴行為に出る癖があり、殊に功七の性格を受けついで自我が強く勝気な被告人とは互いに反撥しあい、酒を飲むと往々にして被告人と口論し、得物をもつて殴り合いをすることもあつて、被告人は功七に殴られたことがしばしばで、昭和四四年には、被告人が酔つて暴れる功七に立向かつてどんぶりで殴られて頭部に傷あとを残されたことすらあつた事実からすると、本件犯行直前、功七が判示のとおり被告人の前に進み寄りその胸倉を手で押しつける態度に出たことは、功七の攻撃が単に右の限度でとどまるものでなく、次の瞬間には、更に、被告人を殴打する等のより強力な攻撃に出る意図であることを窺わせるものであつたといわなければならない。そして、被告人は、功七の右暴行前に、同人と口論こそしていたものの、進んで同人に暴行を加える意図で口論に及んでいたことを認めるに足りる証拠はなく、従つて功七が右行為に出たことが、被告人にとつて、挑発し自ら招いた結果であるとはいえず、被告人は、功七の右行為により急迫不正の侵害に接していたものと認めるのが相当である。そして、被告人が、前述の功七の酒乱暴行癖を熟知し、前記のとおり、同人のため頭部に傷あとまで残されていることを考えれば、被告人に、酔つて乱暴をする功七の行為を恐れる感情のあつたこと(被告人の検察官に対する昭和四七年四月四日付供述調書)も否定できないところであり、被告人の功七に対する判示刺突行為は、前認定の犯行の態様をも考えて、一面、同人の行為に対する憤激の念に発すると共に反面功七の攻撃から自己の身体を防衛するためなされたものと認めることができる。

しかしながら、功七は、いかに剣道の修練をしていた者とはいえ(被告人の当公判廷における供述)素手でかかつて来たものであり、功七の行為の態様からして、胸を押しつけた右暴行はもとより、続いて予想される暴行といえども、被告人の生命に危害を加えもしくはその身体に重大な危害を加える程の強度のものとも認められなかつたのであるから、(もつとも、被告人は、犯行時功七が被告人の携えているジヤツクナイフを取りに来たように述べているが、右供述は、証人下田万次郎の供述に照らして措信できず、仮りに、そのようなことがあつたとしても、未だナイフは被告人が所持していたのであるから、これを投げ捨て、周囲の者に助けを求めるなどして難を逃れることができた筈である。)少なくとも功七に劣らない腕力の持主である被告人(被告人の当公判廷における供述)が、鋭利な判示ジヤツクナイフを突き出して功七の身体を力一杯突き刺した行為は、防衛行為としての相当性を欠くこと明らかであり、正当防衛に該当せず、過剰防衛となるにとどまる。

三  飲酒酩酊による心神耗弱の主張について

証人下田万次郎、同下田政市、同下田定男および被告人の当公判廷における各供述、被告人の検察官に対する昭和四七年四月八日付供述調書、司法警察員に対する供述調書によると、被告人は本件犯行当日午後七時ころから犯行時である午後八時五〇分ころまでの間にコツプを用いて清酒を冷で四合ないし六合飲んでいることが認められるが、被告人および証人大笹敏男の当公判廷における供述によれば、被告人は平素清酒はあまり飲まないが、ウイスキーならば相当量飲み、決して酒に弱いとはいえないことが認められ、証人下田万次郎は、当公判廷で、当日被告人は酒に酔つて言葉は濁つていたが、筋のとおらないことを喋つていたことはなかつたと述べ、証人下田政市は、当公判廷で、当日被告人は目の色がちよつと変わり、口調が荒つぽくなつた程度で態度は大して変りはなかつたと述べ、証人下田定男も右両名と同趣旨の証言をしており、これらにより、犯行時前後被告人の外見には著しく酩酊している状態は見られなかつたことが認められる。被告人も、検察官に対する昭和四七年四月八日付供述調書において、「私は、その時、約五、六合の酒を飲んでいました。しかし、その時のことは、只今申したように詳しく申し上げることができ、今も大筋のことは記憶に残つていて、そんなに酔つていませんでした。」と述べているのであつて、被告人の当公判廷における供述と捜査官に対する各供述を証人下田万次郎、同下田政市、同下田定男の当公判廷における各供述と対比してみると、被告人が本件犯行時およびその前後の状況を大筋においてほぼ確実に追想していることが認められる。そして、右各証拠と鑑定人森田昭之助作成の鑑定書および医師中江孝治作成の鑑定書によれば、被告人は、内向的、独善的、自己中心的で残虐性を有する等、性格にやや偏りがみられ、飲酒によつてそれが強調されることがあるものの、本件犯行時の被告人は、意識の著明な障害はなく、幻覚、妄想などの異常症の発現もなく、その体質に病的な異常もなかつたと認められる。これらの事実を総合すると、被告人は、本件犯行当時、飲酒のためかなり酔つていたとはいえ、事理弁識の能力およびその弁識したところに従つて行動する能力に著しく影響を及ぼす程深く酔つてはいなかつた即ち心神耗弱の状況には至つていなかつたということができる。もつとも、証人大笹敏男は、当公判廷において、本件犯行当日の午後八時三〇分ころ、同証人方へ被告人が電話をしてきたが、同人はベロベロに酔つていて、ろれつがまわらず、六、七分もかけていたが、同証人には用件が倶知安の土地の売買のことであること位は判つたものの、それ以外はさつぱり要領を得なかつたとの趣旨を述べているが、右供述によれば、被告人は本件犯行直前に下田万次郎方から電話をしたことになるにもかかわらず、被告人と同席した下田万次郎親子三人がいずれもこの異常な電話のやりとりに気がついていないことや、大笹証人の供述する被告人の酔いの状態についての判断は、電話を通しての会話のみに基づくものであること、当時被告人と直接接していた下田親子の被告人の酒酔いの程度に関する前記供述あるいは被告人の心神の状況に関する前記各鑑定内容に照らすと、大笹証人の供述する程に被告人が深酔いしていたかはまことに疑わしく、右供述内容はにわかに受け容れることができないのである。従つて、右供述をもつては、前記被告人が本件犯行時心神耗弱の状況になかつた旨の判断を左右しない。

四  自首について

敦賀征彦作成の電話聴取書と同人の司法警察員に対する供述調書中には昭和四七年三月二四日午後九時一五分に倶知安警察署の警察官に対し、松井勇と称する者から電話で「酒を飲んで親父が向かつてきたので、持つていたかみそりの刃が開き、親父に刺さつて倒れたので自首する。」との届出があつた旨が記載されており、これと証人下田万次郎、同下田政市および被告人の当公判廷における、被告人が本件犯行直後の右日時ころ、倶知安警察署へ自首するため電話をかけたことがある旨の供述を考え合わせると、被告人が右日時に倶知安警察署の警察官に対し、右記載のとおり申告したことが認められる。尤もその申告内容について、被告人は、被告人の司法警察員に対する供述調書および被告人の検察官に対する同年四月八日付、同月一一日付各供述調書中では、今親父を刺して怪我をさせたからすぐ来てくれと言つて自首した旨、恰も被告人が自己の犯罪事実(傷害)を申告したかのように述べているのであるが、この供述内容は、被告人が、後に被告人の検察官に対する同月一五日付供述調書では「前回私が、自首したことについて、親父を刺したのだと言つて自首したと申し上げましたが、ぼくが怪我をさせたということは言いましたが、とに角そのような事実に対して届け出たわけで、それが法律上の自首であると私が主張するわけではない」と述べ、さらに当公判廷においては、電話をした内容については「覚えておりません」と答え、電話をかけた気持としては、「ぼくの持つていたナイフを取りつこやつたら刺さつてしまつたし、それから血も出てきたし、それはすぐ警察へ知らせなければいけないし、もし、自分のほうに過失でもあるなら自分から自首しなければいけないという気持でありました。」と述べて故意による犯行であることはもとより過失をも認めていなかつたような口吻をもらすように供述を変えている事実、前述のとおり被告人が本件発生以来、司法警察員に対して功七をとつさにナイフで突いたことを認めたほかは、一貫して暴行、傷害の故意を否認している事実、本件犯行後間もなく犯行現場において緊急逮捕された際、被告人が逮捕の警察官に対し「父親が酒に酔つて瓶を振り上げてかかつてきたので、親父やめれと言つたところ、親父は私のズボンの左ポケツトに入れていたナイフを取り出して刃を開きかかつてきたので、それを取り返すために二人でもめた。この時にナイフは親父の胸に突き刺さり親父は死んだ。」と言つて、自己の犯罪によるものであることを認めなかつた事実(司法巡査作成の緊急逮捕手続書)ならびに前記敦賀征彦作成の電話聴取書および同人の司法警察員に対する供述調書中の記載に徴して、にわかに信用できないのである。

ところで自首とは、自発的に犯罪事実を申告してその処分を司直に委ねるものであるから、その申告は、明瞭に自己の犯罪の成立要件たる事実を内容とするものでなければならない。しかるに、前認定の被告人の申告内容は、自首するとの言葉を用いているが、事実に関しては、父親の行為が原因して、被告人の手にしていた刃物がはずみで父親に刺さつたように述べているだけであつて、かつ、文言としては右程度の申告ではあるけれども、実質的には、それがその場の状況等からして被告人の本件犯罪事実を申告したものと警察官に理解されるような特段の事情も存しないのであるから、右申告は、単に事件の発生を知らせたに過ぎず、自首には該らないといわなければならない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇五条二項に該当するところ、犯罪の情状として、まず、いかに被害者の言語、態度に憤慨し、且つ粗暴な同人の攻撃に対し機先を制して我身を防ぐ意図も働いてのこととはいえ、防衛上相当の限度を遙かに逸脱して鋭利な刃物を素手のままの父親の身体に突き刺し、その結果同人の貴重な生命を一瞬にして失わせたことは、結果の重大はもとより、動機、態様においてもその犯情の軽かざることを考慮すべきであり、また、犯行後の被告人の心情について、自らの非を省りみるところがとぼしく、父親が死亡したのは言葉は強いがその自業自得によるということにならざるを得ないと述べるなど(被告人の検察官に対する昭和四七年四月八日付供述調書)死者に対する哀悼愛惜の情の薄いことも無視できないが、一方、被告人がこれまで酔余他人の住居に侵入して罰金刑に処せられたほかはとも角も前科なく過してきた者であることや本件が偶発的犯行であつて、前述のとおりとも角も相手の攻撃に対し我身を防ぐ意図も働いての行為であり、被害者にも非が存すること、当時被告人が心神耗弱の程度には至らないけれども酒に酔つて判断力が鈍つていたことなど被告人に有利と目される諸事情をも十分勘案のうえ、所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処することとする。

刑法二一条を適用して未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。

押収してあるジヤツクナイフ一本(昭和四七年押一六号の一)は、本件犯行の用に供した物で、犯人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項によりこれを没収する。

訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人の負担とする。

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